さとみさんの読書生活(仮題)

読んだ本の御紹介と生活記録

不随意な脳内燃機関の話

ひとりでじーっと考えることが好きです。

最近、実家の母に「さっちゃんは小さい頃から自分の世界がある子だったから」って言われて、そんなふうに見えてたなんて聞いたの初めてなんだが(38歳)って思いましたが、幼少期を思い返すと、確かにそう。

 

雨の日、幼稚園の園庭で見つけた透明なプラスティックの半球。

ビー玉を半分にしたような形のそれを頭にのせて、「こうしたら雨がかからないの」と自分だけの設定にひたって、るんるるんと園庭を歩き、遊具のひとつ、ログハウス型のお家の中で雨をずっと眺めていたら、いつの間にか時間が経って、先生方が探し回っていた。

なんて出来事がありました。

理由を訊かれたけどもちろん説明はできず、「いやなことがあったから」と答えたように覚えています。

これ、理由そのまま答えたらヤバいよな…という判断がありました、5、6歳なりに。

半球は気づけばなくなっていた。何だったんでしょうあれ。

 

見るもの、聞くもの、触れるもの。

文章や音楽や人との会話、空の色や風やニュースやら何やらかんやら、とにかく、意識のある間に触れたあらゆる物事が脳内でぐるぐるぐるぐる回っています。

時に奇妙な自分設定を生み出したり、荒唐無稽なストーリーになったり、世界や社会の真理を得たりとひとりうなづいてみたり。

脳内で常に思考がぐるぐる回り続けている。

これ自分では当たり前だと思っていたんですが、人によっては全然、そうでもないみたいですね。

 

話は変わりますが、2020年に鬼籍に入った母方のおばあちゃんはすっごいおしゃべりが好きな人でした。

おしゃべりというか、1人語りというか、口数が多い人でした。

わりとおっとりタイプだったおじいちゃんが、おばあちゃんのマシンガントークをばばばーっと浴びて一言「あんたぁようお喋りるのう(0▽0)」という会話を目の当たりにした時は「老夫婦かわいい」と思っただけでしたが、今思ってもおばあちゃんは、全方位に対してかなりおしゃべりが好きな人でした。

 

この感じ、おばあちゃんもきっと脳内燃機関ぐるぐるタイプだったんだろうな。

完全に遺伝してます。

鼻歌好きなところも遺伝してます。

脳内ぐるぐるの燃料のひとつが歌だから、ひとりでいるとひとりでに歌っちゃうよね〜♪

 

遺伝かぁと気づいたらもうこれは、腹をくくるしかないですね。

私は脳内燃機関ぐるぐる人間であるという性分と共に生きていく運命なのだと。

ちょっと長くなったので続きの話はまた。

「それしかないわけないでしょう」ヨシタケシンスケ(2018年 白泉社)

「それしかないわけないでしょう」ヨシタケシンスケ

2018年11月7日初版発行(2020年第10刷発行)白泉社

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2018年10月に長女を産むまで、絵本を購入するという趣味はありませんでした。

子供の頃はそれなりに色々読みましたが、年齢と共に「卒業」したつもりでいて、以降はきれいだなと思う何冊かには出会ったものの、特に積極的に収集する必要性を感じずにきました。

 

長女のももちゃんは今3歳4ヶ月、けっこうな本好きです。

というわけで、書店に行くと絶対いっぱい並んでるヨシタケシンスケさんの本を買ってみたら、面白かった!

これからまだまだ御紹介したいし増えていくと思いますが、まずはこちら。

 

未来の世界って大変なことしかないの?!

と不安になる女の子に、おばあちゃんが笑顔で答えてくれるところがもう、私もももちゃんも大好きです。

 

「だーいじょうぶよ!

みらいがどうなるかなんて、だれにもわかんないんだから!

たいへんなことだけじゃなくて たのしいことやおもしろいことも

たーくさん あるんだから!」(本文より)

 

このおばあちゃんが好きすぎて、ももちゃんはそれからしばらく「ママ、おばあちゃんやって!」と私を「おばあちゃん役」にしてごっこ遊びをするのにハマりました。

スーパーで大きな声でママをおばあちゃんって呼ぶのはヤメテー(応えるけど)。

 

女の子はおばあちゃんが言ってくれた「それしかないわけないでしょう」という言葉を使って、未来のいろんな可能性を思い描きます。

 

「まいにち ウインナーの みらい

いちにちじゅうパジャマでもいい みらい

まいしゅう どようびは クリスマスの みらい」(本文より)

 

この可能性、どんどん広がっていって、最後はなんと「タワーたまご」!

まあ、結局選ぶのは定番の美味しいたまごだったりするわけなんですけどね。

その落ち着きどころも愛しくてかわいいのです。

「マグネット」山田詠美(1999年 幻冬舎)

「マグネット」山田詠美(1999年発行 幻冬舎

1999年4月発行 幻冬舎

帯の紹介文「甘い罪と罰のはざまで、世界はあなたのものになる。罪の意識は、人を洗練させる。動物のように思慮深い瞳をした者たちがひき起こすナインストーリーズ。心の未知の扉を開く最高の純文学。」

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こちらも学生時代から大好きな山田詠美さんの短編集です。

一番好きなのは「YO-YO」というお話。

何て読むのかな、「ヨーヨー」?

 

その夜、美加は、男を買ったが、買い物をしたという気分にはならなかった。カシミアのコートが肌の一部に感じられる、そういう冬の夜のことだ。(P67.l.1-2)

 

バーテンダー(男性)とお客さん(女性)がライトな肉体関係を持つという始まりですが、話の中心は2人の会話と「お金」のやり取りやその意味についての考察。

重すぎず軽すぎない会話が心地よく、お金のやり取りには少しハラハラもし、読了感がものすごく良い、そんな作品です。

 

「なんて、幸せなんだろう」

思わず口をついて出た言葉なのだろうが、美加は仰天した。なんて、奇特な人なんだろう、と言い返したくなった程だ。その直後に、そんなことを言う男なんて、いない。幸せ?彼女は、それに当てはまる概念を必死に考えた。(P76.l.10-13)

 

山田詠美さんの作品、私は言葉の選び方とリズム感が大好きで、読んでいるとつい声にだして音読してしまいます。

「YO-YO」はもう、何度音読したことでしょう。

あ、ひとりでです。特に誰に聞かせるわけでもなく。

直接的な言葉も文章の巧みさゆえかさらりと本文に溶け込ませて読ませてしまう、そして圧倒的にリズムがいい!

(関係ないけどいつか同好の士と朗読会を開くのが私のドリームです。)

 

この「幸せ」くんが可愛いんですよね。

余裕があるようで、無いようで。

素朴なようで、玄人らしさもあるようで。

 

恋愛をテーマにした作品って「少女漫画」はもちろんそれ以前から身近にあったし、選択の余地もなく必要も感じず摂取してきましたが、山田詠美さんの描かれる作品のバランスは、10代から20代頃の私にとって、心地よく刺激的で好きでした。

普通の人の普通の感覚(倫理観や常識といっても良いかも)と、そこから少し外れた感覚の距離感を丁寧にひもといてくれるような、その説明自体が気持ちよくて。

収録作品の中の「マグネット」とかは、あらためて内容に言及するのが今は怖いような作品ですね(好きです)。

 

好き好き言うだけの記事でごめんなさい。そういう趣旨のブログです。

紙の本が好きだからお家に書庫を作ったよ

昨日は初めて本の御紹介として記事を書きました。

2022年3月時点で間違いなく「一番好きな一冊」なのですが、いざ文章にして誰かに伝えようとすると難しいものですね。

読み返してみると、御紹介したい中心の「デミアン」より、関連作品である「少年の日の思い出」や「車輪の下」についての方が具体的でわかりやすいような。

今後、何度も書き直すと思います。

(書き直したらtwitterやブログ記事内でお知らせしますね)

 

とりあえず1本書いてみて、2021年度に学んだ「情報資源組織(図書館司書の必修科目)」にあった「書誌情報(の一端)」を記事に載せるのは「いいな」と思いました。

 

私はあまり電子媒体で読書をしません。

スマートフォン(今はiPhone8)で読むのは主にtwitterとInstagrumとメールです。

ブログもスマートフォンで読みますが、今は「常読」しているものはなく、知りたいことがあった時、検索で見つけた記事を読むという使い方。

アプリを入れたけど日常からフェードアウトしてしまったものには、kindle、漫画、ニュース記事…色々ありますね。

 

電子媒体で読書をしない理由は多分、紙の本で読書するのが好きだからです。

昨日御紹介した「デミアン」は昭和41年に印刷された「物体」としての「本」。

ヘッセがドイツ語で書いて、実吉さんが日本語に翻訳して、その原稿を活字にした誰かがいて、表紙も本文もこんな本にしようとデザインした人がいて、印刷して、製本して、流通して、50年も経った今、私がこの手に持っている、揺るぎない「物体」。

実はこの本の最後のページには、以前所有していた方と思しき女性のお名前が手書きしてあります。

ブルーグレイの文字はおそらく万年筆かな。

手放すつもりなくそのように名前を記されたのでしょうに、何のご縁でかいま、この本は、私の手元にあります。

答えはありませんが、元の持ち主の方には何があったのだろうなあ、なんて考え始めてしまうと、なんとも楽しい気分になります。

ロマンに浸るとかね、多分そんな気分だと思います。

 

そういう「物体」としての「本」について、色々なことを想いながら読書という活動を楽しむことが私は大好きなのです。

 

2018年に建てた自宅には「書庫」と名付けた小さな部屋があります。

担当してくださった建築士の方(当時30歳の女性の方)もこの「本へのロマン笑」を解してくださる方で、ここにあそこにと楽しく一生懸命「本を保管するスペース」を検討して下さって、実現した小さな部屋です。

(「書斎」でなく「書庫」なのがミソ。読むのは家のオープンスペースで。保管に特化した一部屋を作りたかったのです。)

このブログではこの部屋の本を、一冊ずつ御紹介していきたいと思います。

絵本、純文学、ビジネス本、実用書、漫画、雑誌、同人誌、DVD、BD …「本」と括るには雑多かもしれませんがそれは個人の「蔵書」ということで。

 

前の記事に「書誌情報(の一端)」を記してみて、ああこれは「私の持っている本」を御紹介するにはぴったりだなと感じましたので、今後も書いてみたいなと思っています。

タイトル・著者名・出版社・出版年(版)この辺りについては毎回記載するつもりです。

なんかこういうのかっこいいかも、というふわふわした浮つきも動機のひとつです。

 

なんて、こんな風に書きながら方向性が少しずつ見えてきました、かね。

仔細はまた追々。やりながら見えてくることを期待しています。

毎日更新したいところですが、第一は生活です(性分)。

「デミアン」ヘルマン・ヘッセ作 実吉捷郎訳(昭和34年第一刷 岩波文庫)

このブログで初めて御紹介する本はこちら

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タイトル 「デミアン

ヘルマン・ヘッセ作 実吉捷郎訳

昭和34年4月5日第一刷発行(手元の本は昭和41年8月10日第九刷発行のもの)

岩波文庫

帯の紹介文「第一次大戦直後の世界と作者自身の激しい変貌を描いた名作。謎めいた一青年デミアンの姿は当時の青年達の師表となり感銘を与えた。」

 

私がこの本を初めて読んだのは大学生の時、多分20歳かな。

大学の図書館にあったものが最初だったと思います。

 

ヘルマン・ヘッセといえば「少年の日の思い出」や「車輪の下」を読んだことのある方は多いはず。

「少年の日の思い出」は中学校1年生の国語の教科書に昭和22(1947)年から掲載されている名作です(これも大好き)。

蝶蛾の採集が大好きだった少年が、その大切な趣味を自ら封じてしまった思い出を、大人になって回想している物語です。

「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」の台詞に「エーーミーール!手加減してやってくれーーー!」と心の中で叫んだ方も多いはず。

え私だけ?

車輪の下」も小学校高学年から中学生くらいの読書推薦図書には必掲の名作ですよね(これも大好き)。

村一番の秀才!だった男の子が猛勉強の末入った神学校で、周囲と馴染めず、心を病んで帰郷。故郷でも色々あって最後には…というオチに「これ本当に推薦図書であってますかーーー?!かわいそうすぎるーー!」と心の中で叫んだ方も多いはず。

(特にヘルマン・ハイルナーのかっこよさと厳しさが悲しすぎるーー!)

え私だけ?

 

という10代前半で触れたヘッセ作品は私にとって「主人公に厳しい」という印象でした。なんでそんな救われない突き放し方するの?かわいそうじゃん、本人も反省してるし、ね、頑張ってるんだよ?ほら…あやまって…もだめですか、そうですか、それは…うん、まあたしかにね、分かるけども…(厳しいなあ…)。

 

そこにきて、この「デミアン」。

やさしいの。

いや、厳しくはあるんですが、その厳しさが一周回って、深く深く理解で包まれて繋がって染み込むような優しさに変わっているんです。

 

全編を通して難解です。

主人公エミイル・ジンクレエルが自分の人生や社会、宗教、世界、運命、さまざまなものを疑い、咀嚼し、全く未知の新しいものとして血肉にしていく過程が、これでもかと描写されています(だがそれがいい)。

でもでもジンクレエルは1人じゃないんですよ。

彼の孤独や苦しみを一足先から見守ってくれる「デミアン」がいるんです。

それだけでもう安心して読み進められます。

デミアンやさしい…これなら強く進んでいける…がんばれる…!!

私の中でヘルマン・ヘッセが「崇敬する文学作家様」になった瞬間でした。

 

とはいえ私はドイツ語の文学作品を直接読解する技術を持っておりませんので。

図書館で出会った本も岩波文庫の(刷は違いましたが)昭和に刊行された文庫本でした。

のちに別の訳者による同作品も読みましたが、私はこちらの実吉捷郎訳のものが大好きです。

後書きを見ると、まだヘッセが存命(82歳)の頃に訳され出版された本なのですね。

主人公の名前も訳によって「ジンクレエル」「ジンクレール」「シンクレール」など色々ありますが、私は今よりもっと「外来語の訳の揺れ幅がある点」や「日本語の文語らしさが色濃い点」などにときめきをおぼえるため、わざわざ古本で探し出して手元に置いております。

というわけで、訳者様へのときめきも併記して御紹介いたします。

 

答えのない問題に悩み、苦しくてたまらない時、今でも繰り返し読みたくなる作品です。

久々にブログを開設してみました

二千年代に自分も周囲も書いていたブログなるものを再びやってみむとてすなりです

 

別に何も上手くない感じですが、久々にブログを書いてみようと思いアカウントを取得しました。

twitterの方で御存知の方もおられると思いますが、私は2022年4月から職場復帰します(育休明け)。

復帰先の職場は「図書館」。

楽しみです(本音)!

これまでなかなか手を出せなかった色々なジャンルの本と毎日触れ合うことができるという環境!

楽しみです(2回目)!

 

ということで、このブログでは主に、私の読んだ「本のご紹介」と「生活の記録」の2つのテーマで記事を書いていく予定です。

読みたい本、語りたい本は星の数ほどありますが、まずはゆっくりと。

どうかよろしくお願いします。