さとみさんの読書生活(仮題)

読んだ本の御紹介と生活記録

「デミアン」ヘルマン・ヘッセ作 実吉捷郎訳(昭和34年第一刷 岩波文庫)

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タイトル 「デミアン

ヘルマン・ヘッセ作 実吉捷郎訳

昭和34年4月5日第一刷発行(手元の本は昭和41年8月10日第九刷発行のもの)

岩波文庫

帯の紹介文「第一次大戦直後の世界と作者自身の激しい変貌を描いた名作。謎めいた一青年デミアンの姿は当時の青年達の師表となり感銘を与えた。」

 

私がこの本を初めて読んだのは大学生の時、多分20歳かな。

大学の図書館にあったものが最初だったと思います。

 

ヘルマン・ヘッセといえば「少年の日の思い出」や「車輪の下」を読んだことのある方は多いはず。

「少年の日の思い出」は中学校1年生の国語の教科書に昭和22(1947)年から掲載されている名作です(これも大好き)。

蝶蛾の採集が大好きだった少年が、その大切な趣味を自ら封じてしまった思い出を、大人になって回想している物語です。

「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」の台詞に「エーーミーール!手加減してやってくれーーー!」と心の中で叫んだ方も多いはず。

え私だけ?

車輪の下」も小学校高学年から中学生くらいの読書推薦図書には必掲の名作ですよね(これも大好き)。

村一番の秀才!だった男の子が猛勉強の末入った神学校で、周囲と馴染めず、心を病んで帰郷。故郷でも色々あって最後には…というオチに「これ本当に推薦図書であってますかーーー?!かわいそうすぎるーー!」と心の中で叫んだ方も多いはず。

(特にヘルマン・ハイルナーのかっこよさと厳しさが悲しすぎるーー!)

え私だけ?

 

という10代前半で触れたヘッセ作品は私にとって「主人公に厳しい」という印象でした。なんでそんな救われない突き放し方するの?かわいそうじゃん、本人も反省してるし、ね、頑張ってるんだよ?ほら…あやまって…もだめですか、そうですか、それは…うん、まあたしかにね、分かるけども…(厳しいなあ…)。

 

そこにきて、この「デミアン」。

やさしいの。

いや、厳しくはあるんですが、その厳しさが一周回って、深く深く理解で包まれて繋がって染み込むような優しさに変わっているんです。

 

全編を通して難解です。

主人公エミイル・ジンクレエルが自分の人生や社会、宗教、世界、運命、さまざまなものを疑い、咀嚼し、全く未知の新しいものとして血肉にしていく過程が、これでもかと描写されています(だがそれがいい)。

でもでもジンクレエルは1人じゃないんですよ。

彼の孤独や苦しみを一足先から見守ってくれる「デミアン」がいるんです。

それだけでもう安心して読み進められます。

デミアンやさしい…これなら強く進んでいける…がんばれる…!!

私の中でヘルマン・ヘッセが「崇敬する文学作家様」になった瞬間でした。

 

とはいえ私はドイツ語の文学作品を直接読解する技術を持っておりませんので。

図書館で出会った本も岩波文庫の(刷は違いましたが)昭和に刊行された文庫本でした。

のちに別の訳者による同作品も読みましたが、私はこちらの実吉捷郎訳のものが大好きです。

後書きを見ると、まだヘッセが存命(82歳)の頃に訳され出版された本なのですね。

主人公の名前も訳によって「ジンクレエル」「ジンクレール」「シンクレール」など色々ありますが、私は今よりもっと「外来語の訳の揺れ幅がある点」や「日本語の文語らしさが色濃い点」などにときめきをおぼえるため、わざわざ古本で探し出して手元に置いております。

というわけで、訳者様へのときめきも併記して御紹介いたします。

 

答えのない問題に悩み、苦しくてたまらない時、今でも繰り返し読みたくなる作品です。